兎村彩野|Illustrator / Art Director

透明な家事をする人が影を取り戻した7年の軌跡。

ここ数日、なにかが目覚めたように「あれ?家事が楽しい。」と感じました。

 

 

26歳から29歳の3年半。私は一回目の結婚をしていました。最初の結婚した相手はとにかく仕事が忙しい人で、朝家を出て帰宅は日付がかわるころ。早い日で21時や22時という感じでした。

私も今と同じく、家で仕事をしていたのですが、家にいる時間が長いので必然的に家事全般は私の分担になっていました。

 

夫のいないリビングに起きてきて、掃除・洗濯・役所手続き・銀行まわり・スーパーの買い出し・料理・宅急便の受け取り・お礼状の送付など。毎日家事が終わってから自分の仕事をしていました。夫がしていたのはゴミ出しくらいだったかなぁ。

 

若かったので体力があり、今より仕事が少なかったので、意外とできてしまったという。「これが普通なのかなぁ」と思っていました。なんせ初めての結婚で、初めての生まれ育った家族以外の家庭で、初めての夫婦だったので、なにが正しいのかわからず、なんとなくそうなったものが夫婦のルールになっていたような気がします。

 

結婚して1年くらいは仕事が少なかったので平気だったのですが、2年目あたりから、少し緊張感のいる仕事が増えてきました。ちょうどNHKおかあさんといっしょの「黒猫ダンス」や「ながぐっちゃん」がヒットしてきた頃です。

 

家事と仕事の両立が精神的にも肉体的にも限界になってきており、夫にその事を相談しました。その夜、返ってきた言葉が「家政婦頼んで良いよ。お金出すから。」でした。

 

今思えば、夫なりの優しさだったり気遣いだったり、疲れている私を心配して出た言葉だったのかも知れませんし、育った環境を考慮すると悪い言葉ではないのですが、感情や価値観をくみ取り合えるところまで、相手との関係は築けていませんでした。

なんせ一緒に過ごす時間が一日に1〜2時間程度なので、他人が集まった夫婦として、日々のコミュニケーションはすでに破綻していたと思います。なんとなくの日常会話はあるのですが、もっと深い部分の「今どう考えているか。どう感じているか。将来どうしたいか。」を話し、価値観を共有させる時間が、あまりにも足りていなかったと思います。

仕事と家事で精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱい、夫婦のコミュニケーションはすれ違い。私は限界だったようで、「家政婦」という言葉がスイッチになって呪いにかかったように思います。

 

「あぁ私、家政婦なんだ。この家の。」

夫の言葉はその本心とは別に、当時の私には、家庭不参加宣言のように感じてしまったのでした。

 

 

その日から、どれだけいっぱいいっぱいでも、無になって家事と仕事をこなすことにしました。心が折れて諦めてしまったのだと思います。夫婦として生きていくことを。

ただひたすら、毎日、ふたり分の家事をする。疲れていても悲しくても関係なく。その姿を誰も見ることはないし、自分の存在を分かってくれる人はいない。

家の中で、私は「家事をする透明な人」へ変貌していきました。それと同時に、心を閉じて感じないように守りに入ったと覚えています。この頃、人に自分の気持ちを話すことはなくなっていました。透明でいることでしか生きて行けない状態でした。

 

もし、身体に症状が出てくれたり、名前の付く○○ハラスメントというものがあれば、調べたり病院へ行くなど、外側へ出て行く行動が選べたかもしれません。夫が私になにか嫌がらせするでもないし、イヤなことや嫌味を言うでもなく。

健康だけど家の中で心がずっと悲しい状態の「家事をする透明な人」には名前がありません。今も、あの状態が何だったのだろう?と思います。そして私が感じていた「家事をする透明な人」で苦しんでいる人は、世の中にたくさんいるかも知れないなぁと思っています。家庭や夫婦というものは外からなかなか見えないものです。

 

そんな夫婦生活なので、3年半で解散となります。夫から離婚を切り出されたとき「やっとこの生活から解放される!!!」と、心がガッツポーズして、軽くなったのを覚えています。それくらい夫婦としての時間はずっと前に終わっていました。

 

離婚からのひとり暮らしを経て、現在の夫と出会います。正直に。現在の夫には、私が「家事をする透明な人」であったことを話したら理解してくれました。無理に家事をしなくていいよと言ってくれ甘えました。かといって、何もしない罪悪感も疲れるので、掃除機をする・毎週土曜日に大掃除する、のようにできそうなことをルール化して担当し、他の家事は夫がやってくれる家になりました。

 

実は「家事をする透明な人」後遺症が、夫との同棲期間に見つかります。自分以外の誰かのために家事をしようとすると感情が止まるという。もともと家事は得意なのですが、相手のためにしていると頭の中が察すると、スイッチが入って心が止まってしまい、楽しいとか気持ちいいが、感じなくなります。無になってしまう感じです。

自分のためのひとり暮らしでは、他人がいなかったのでこの症状に気付かなかったようで、夫と同棲をはじめた頃に、あれ?おかしいぞと気付きました。

 

これがなかなか苦痛です。本来の私は家事が好きですし、好きという感覚を知っています。家がきれいになったり、心地よくなるのは気持ちよいです。けれど、好きな人のために家事をしようとすると、心が止まる。意味の分からない葛藤がずっと続くのです。

 

それでも夫はそれでいいし別に問題はないということで、ほとんどしてくれました。そして私は家事をする夫を一日中家の中で見ることで、自分が「家事をする透明な人」でいた自分自身のゴーストを見つめているような錯覚をしていきます。なるほど、私は家の中でこんな風だったのかと。

 

心身医学に携わる医療関係者ではないので、セラピーみたいだとは言えないのですが、私のために家事をしてくれる人を目の前で毎日毎日見て、客観的に「家事をする透明な人」だった自分を実体として想像できるようになりました。

その中で、自分が苦しかった「家事をする透明な人」の時期に、して欲しかったことが分かってきました。「家事ありがとうって言われたいな」「家事してもらって大事にされてるって感じたいな」のふたつでした。

家事は簡単ではないし、苦労が分かるので、毎日「今日も洗濯ありがとう」や「コーヒーありがとう」や「家事してくれてうれしい」を言葉とハグで伝え続けました。

 

夫に言っている言葉なんですが、同時に、どこかで、過去の苦しかった自分にも声をかけているような不思議な時間でした。「時間でした。」とさらっと書いていますが、実に5年。長い。

透明だったけど、私だけは私を見ていた。もうちょっと自分を褒めて良かったし、もっと前に元夫との環境から逃げても良かった。やっと私は私に会えた気がしました。

 

あの頃、家の中には孤独がたしかにあって、私は傷ついていた。やっとその事に気付いて受け入れることができました。そう、私は傷ついていた。たったこれだけのコトを知るのに、何年もかかったという。

 

誰も悪くないけど、私は傷ついていた。元夫を悪く言うのは簡単なのですが、たぶんそうではなく、本当に誰も悪くない。人間関係の厳しい会社で長時間働いてた元夫も大変だったと思うし、そのしわ寄せを受け止めてしまった私も大変だった。たまたま偶然、呪いが生まれる環境が揃ってしまった。

本当に。それだけのことだった。

もし「悪い」があったなら、相性が悪かったのだと思います。

 

 

年明けくらいから少しずつ「あれ?家事ちょっと楽しいかも。」と感じるようになってきました。夫にも、少し感覚が変わってきたみたいと伝えて。心が治ってきたのかなぁと直感で感じました。

 

そしてここ数日、なにか特別なことがあったわけではないのですが、ポカポカ気持ちよい休日が重なって。相変わらず夫は隣で家事をして、台所でサラダなんかをふたりで作っていて、「あれ?楽しいし、家事したい。」と感じるようになりました。

今朝は洗い物をしても楽しいし、コーヒーを煎れても楽しい。そして夫に「洗っておいたよ〜」と台所から声をかけるのも楽しい。あれ?楽しい。楽しいぞ、今。そして「もうちょっと家事したなぁ。」と。

 

 

あまりにも嬉しくて、夫に「家事が楽しいの治ったみたい。家事したい。」と伝えると、「良かったね」と。良かったんだ。良かった。

 

人はみな、弱っているときに自分や他人に呪いをかけてしまう生き物で、呪い自体はなかなか気付きくく、解除するのに何年もかかる。結構やっかいな「心」というものを持って生きている。どんな時に、どんな呪いにかかるのかもわからないし、かかる人もいれば、かからない人もいる。偶然と環境が揃ったときに、バチンとはまって、知らない間に傷を持つ。

 

それでも、その「心」は傷を受け入れて、自分なりに癒していくと、本当にゆっくりと癒されて回復していく。回復しながら、自分だけではなく、同じように今苦しい人のコトも想像できるようになる。もしも、この数年の私の経験がなかったら。私は今日より優しくなれなかったと思う。「傷」と「隣にいる夫」が、私に、人間の持つ優しさを教えてくれた。なんとなく。優しく生きる事にもう諦めないでよさそうだなと思った。

 

離婚から7年。

好きな人のために家事すると楽しいという当たり前の感情が私の中に還ってきた。透明な家事をする人はこの家にしっかり両足で立ち、実体を取り戻して立派な影を作っている。今日もいい天気で連休日和。

 

ベランダに洗濯物を干しにいってきます。夫と。

by
Illustrator / Art Director 兎村彩野。1980年東京生まれ、北海道育ち。高校在学中にプロのイラストレーターとして活動を開始する。17歳でフリーランスになる。子ども向けの絵(NHKおかあさんといっしょの「黒ネコダンス」や「ながぐっちゃん」など)や女性向けの絵、アウトドアの絵を得意する。ドイツの万年質LAMY1本で描く「LAMY Sketch」が人気になる。
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