兎村彩野|Illustrator / Art Director

純度の高い人たち

新しい仕事で友人から写真が届いた。世界にいる純度の高い人たちの風景に、一瞬で吹き飛ばされて、自分の純度の低さに打ち拉がれた休日の深夜。

きっとみんな、日々に葛藤があり、苦労があり、努力があるのは大前提で。それでもよどみの無い時間を生きている人たちは、その風景がすべて美しく、私程度の人間は両手に持っていた言葉を全部こぼして失ってしまう。

 

ふわっとした曖昧さも、デジタルの気楽さも、スマホで繋がる人間関係も、どっかの「いいね!」も、知らない誰かの日記も、たまに本当に、どうでも良くなる時がある。そんなこと言ったら怒られそうだけど、本当にiPhoneをぽいっと捨てて自分を自由に吹き飛ばしたくなる。

そんな衝動を、ここのところ随分繰り返して感じてしまう。

自分の純度の低さに悔しくて、悲しくて、うわー!ってなる。だからなんだって話でもあるけど。もがいてる自分も嫌いではないけど、本物の透明感の前では無力だなぁ。ダサい服を着ている自分が恥ずかしくて、はやく全裸でわーっとはじけたくなる。

 

人間の純度とはなんであろうか。どんな負のエネルギーも跳ね返してしまう光があり、それでいてとても温かく優しい。厳しいけど優しい。本当に優しいとはきっとこういうことなんだろうと思う。

あぁ純度を取り戻さなければ。ひさしぶりに焦りを感じた冬っぽい秋の夜。ひさしぶりにセーターを着て唸っている。焦っても良いことは無いけど、焦る日もある。

 

生きているので、嫉妬もするし、自分の足りないモノにどう埋めていけばいいか、引いていけばいいか、ガガガっと眼球の奥の方で計算して、目の前に突然やってくる気の遠くなるその作業量に一瞬気を失ったりもする。人間の持つ生きるエネルギーは風圧に似ていると思う。ばふっと被さる。ベールのように包み込む。

昨日の自分に「しっかりしろよ」と思うので、やっぱりまだまだ自分の中に無駄がたくさんあるし、不要な欲が残っていてダサいなと思い出す。努力が足りないぞ。言い訳が多いぞ。言葉をもっと捨てねばとも思う。

 

私の唯一の純度があるとすれば、この世で一番好きな人と一緒にいることくらいで、勘違いでも愛だけはゆるぎないけど、まだまだ純度を目指す部分は多い。アンカーは打ってあるけど、海で彷徨っていると受け入れることの大変さ。

 

本当に優しく。本当に大切なモノは、言葉すらも断捨離している。ただ命があるという世界があまりにも究極で美しい。純度の高い人たちは、小さな画面の向こう側で、ちゃんと生きている。

 

あぁ。人生における通過儀礼の健全な嫉妬。

 

by
Illustrator / Art Director 兎村彩野。1980年東京生まれ、北海道育ち。高校在学中にプロのイラストレーターとして活動を開始する。17歳でフリーランスになる。子ども向けの絵(NHKおかあさんといっしょの「黒ネコダンス」や「ながぐっちゃん」など)や女性向けの絵、アウトドアの絵を得意する。ドイツの万年質LAMY1本で描く「LAMY Sketch」が人気になる。
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