兎村彩野|Illustrator / Art Director

新宿の伊勢丹で買い物をする自分に出会う大人の階段

子どもの頃、北海道の田舎に住んでいたので、百貨店と言ってもそこまで大きな規模ではなかった。

なんとなく残る記憶は、祖母が知り合いの人へ贈答品を買いに行く場所で、誕生日にちょっと特別な服を買ってもらえる場所で、その帰り道にパフェを食べさせてもらえる場所という感じだった。

私は3歳まで父と母と東京の北区に住んでいた。なので3歳前の私はたまに母に抱かれて西武だの伊勢丹だの行っていたらしい。器が趣味で陶芸まで習っていた母の楽しみは百貨店で日本の民芸の質の良い器をみて、時々、ちょっと特別な日に買う楽しみであり贅沢だったらしい。いまだに、家には古くても良い感じの器がいくつかある。

私が小学生くらいになると、母はその頃の話をたまにした。

「東京にはね百貨店って言う立派なデパートがあって、下から上まで質の良い素敵なモノが売ってるんだよ。ちょっと高いんだけど、とてもセンスの良い場所なんだよ。行くとね、高いから沢山は買えないけど、地下でお土産においしい物をちょっと買ったりするんだよ。」

私はずっと「東京の百貨店」にとても憧れがあった。見たことのない不思議な遊園地みたいな場所。高級だけど素敵なモノが沢山ある場所。

その中でも母は「新宿のね、伊勢丹って言う場所は特別な場所なの。」と何度も話していた。どう特別なのか、そもそも新宿ってなんなんだろう?私は想像できるカードをひとつも持っていなかった。

 

19歳で東京に住みはじめて数年。その百貨店のことはすっかり忘れていた。新宿はロフトというライブハウスのある街で、安い居酒屋でみんなで飲む場所で、歌舞伎町がキラキラで、始発前にラーメンを食べる場所。百貨店に入ることはなく、ただ、そのまわりを通り抜ける。視界に入らない場所だった。若すぎて分からなかったのだと思う。透明のビルだった。

 

20代の後半に一度目の結婚をした。結婚という行動で、なんとなく大人になったような気がした。その時、ふっと「新宿伊勢丹」を思い出した。新宿に用事が出来て地下街の食品街を歩くようになった。ちょっと高いけど買えなくもないと分かってきて、パンやチーズ、おいしい蒲鉾なんかを買うようになった。それでも上の階には行くことが出来ず、地下鉄から続く通路から入って、そのまま地下に消えていく感じでたまに寄り道をした。新宿伊勢丹にいるというより、高級な地下街にいるという感覚だった。

 

30歳頃、離婚をして、なんだか全部世界が面倒くさくなった。面倒だったその時期、色々な人の繋がりでなぜか新宿伊勢丹の仕事をするようになった。新宿伊勢丹に打ち合わせで通うようになって地下より上のフロアへ行くようになった。どうでも良かった日々になんだかひさしぶりにちゃんとした「色」を見たような気がして面白いなと感じられた。食器や家具に関してはずいぶん知識がついていたので、ふらふら歩いてもそこにあるものが理解できるようになっていた。理解できるということは生きていて楽しい状態。

父の日に新宿伊勢丹まで行き私でもわかる質の良い物を買ってみた。チェックの袋を見て「お!伊勢丹!」父はよろこんでいた。そうか。伊勢丹という百貨店にはなにか不思議な引力があるんだと思った。

 

今の夫と二回目の結婚をしてから、家が好き同士のふたりなので、ちょっと良い物をちょっとずつ買って暮らすようになった。暮らしを楽しむために、たまに新宿伊勢丹へいくようになった。それは通り道ではなく、ついででもなく「今日はお出かけの帰りに伊勢丹いこうか」とふたりで予定を決めてわざわざ行く場所になった。たまに自分の絵がお店で使われていたりもして、とても行くのが楽しくなった。調理器具や器なんかを夫婦ふたりでのんびり選んで、知識のある店員さんと小話をして、気持ちよい接客に背筋がのびて。上から下までたのしんで、必要な物を買って、地下で晩酌のお供を選んで電車に乗って帰る。

そこにいるとき、なんだかインターネットとはまた違った買い物の楽しさがあると気付いた。

 

 

思えば母が私に新宿伊勢丹の話をしていた年齢を、私はもう越えてしまっている。もっといえば、私を抱きながら百貨店に通っていた母は20代前半だったはず。子どもの頃、なんだか分からないけど新宿という街が東京にはあり、そこには伊勢丹という素晴らしい百貨店がある。その架空の物語のような話を、今、私はど真ん中で体験している。

大人の階段なんてものが人生にはあって、ゆっくりゆっくり登ったりして、たまにちょっと降りることもありつつ、全体的には登っていて。そして気付いたときには思ってたよりもずっと上の階にいたりする。

 

37歳の私という人は「新宿伊勢丹」という人生の階段の階にいたらしい。どうやら。もはや望んでいく場所になった。欲しいものは頑張れば自分の収入で買える。ゆったりした店の中で友人への贈り物を選んだし、自分のお気に入りを探したり、発見を探したり。

 

自分がちゃんとおばさんになったことを嬉しく思った。

そうだった。きっと。

新宿伊勢丹が私に大人になることの楽しさを教えてくれた。

 

夫に盆栽のお土産を買ってぶらぶら歩きながら、ふっと知った。

by
Illustrator / Art Director 兎村彩野。1980年東京生まれ、北海道育ち。高校在学中にプロのイラストレーターとして活動を開始する。17歳でフリーランスになる。子ども向けの絵(NHKおかあさんといっしょの「黒ネコダンス」や「ながぐっちゃん」など)や女性向けの絵、アウトドアの絵を得意する。ドイツの万年質LAMY1本で描く「LAMY Sketch」が人気になる。
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